学校日記

東日本大震災の経験から未来を考える集会 その2

公開日
2016/03/03
更新日
2016/03/03

復興の足跡

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集会の中で、3年生の代表生徒より発表がありました。

「震災から今、そして未来へ〜考えること」

五年前、僕は小学校四年生。野球が大好きで、学校から帰ると毎日、親友と一緒に、
壁当てをして遊んでいました。少年野球のチームに入り、練習は一日も休みませんでした。学校でも毎日休み時間は、校庭でサッカーをしていました。そんな僕の夢は、野球の指導者になることでした。
 二〇一一年三月一一日、 いつものように学校から帰って友達と遊んでいると、東北地方太平洋沖地震が発生し、震災のうえに、原発事故までが起こりました。僕は何が起こったのかあまりよくわかりませんでした。家族はニュースを見て、放射能のことを話しています。放射能って何?と疑問に思いながら、少しずつ不安になっていきました。
 外にも出られない、学校にも行くことができない日が続きました。そして、住んでいる家を離れて福島に避難しました。避難生活の中、スクールバスで川俣中学校の校舎に通うことになりました。学校では外での活動ができないのであまり楽しくなかったですが、友だちに会えることが唯一の楽しみでした。
 避難により不自由な生活が続きましたが、そのことから、毎日学校に通えること、食事ができること、お風呂に入れること、という当たり前のことができるありがたさをしみじみと感じました。そんな中、僕は野球のことは忘れませんでした。毎日、家で素振りをしました。少年野球の経験から、持続する力がついていたのだと思います。その力が僕を支えていました。
 避難生活は続き、この仮設校舎で三年間学び、野球部の活動に打ち込み、汗を流しました。暑い日も、寒い日も一緒に練習する友達の笑顔と声に励まされました。そして、部活動を引退した今でも、素振りを続けています。その間、家族の応援、先生方の指導、飯舘中生としても全国から支援を受け、励まされて生活し、困難を乗り越え生きることができました。
今、僕は、中学三年生。卒業を目の前にしています。これからの自分の将来を見つめています。新たな夢もできました。建築士になることです。自分で考えた家を建て、家族に恩返しをしたいと思ったことがきっかけです。高校で専門的な知識と技術を学びたいと思います。また、野球部に入り、さらに努力を続けます。小学校からの夢である野球の指導者を目指します。そして、野球を通して、子どもたちに夢や希望を与えられる人になりたいです。
震災により多くの方が命をなくしました。私たちは多くの人の支えによって今を生かされています。亡くなった人たちの思いとともに、感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいです。
 ふるさと飯舘村を離れて五年。しかし、僕の心の中にはいつも飯舘村があります。そして、村の復興を願っています。ふるさとの復興・発展のためには、僕たち若い世代の力が必要です。飯舘村のよさを世界に発信し、村を発展させていきたいです。将来を夢見ながら、今という時を精一杯に生き、力を蓄えていきたいと思います。